Life Craft Works
突然ですが、小野不由美先生の十二国記はご存じでしょうか?
私は、慶の民の誰にも王になってもらいたい。他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば正すことを恐れず、ケダモノに媚びず。私は慶の民に、そんな不屈の民になってほしい。己という領土を治める唯一無二の君主に!そのためにまず、他者の前で毅然と頭を上げることから始めてほしい。

十二国記 風の万里 黎明の空(下)(中略あり)

これは、作中の慶王陽子の台詞です。

この台詞を単語の表面だけで解釈すると、「嫌なことがあっても負けないように」と受け取るかもしれません。
しかし、「王」とは何でしょうか?
好き勝手にふるまい「衆目など気にせず表現し、周りに迷惑をかけて構わない」ことでしょうか?

それでは、「暴君」です。

また同様に慶王陽子にはこのような台詞もあります。
他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。それよりも、人に頭を下げるたび、壊れていく者のほうが問題だと私は思う。人はね、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、自然に頭が下がるものだ。他者に対しては、礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうといっているんだ。

十二国記 風の万里 黎明の空(下)(中略あり)

周りにこんな「立場をもって礼を強要」する上司や先輩はいませんか?
また、自分が消費者になったときに、イラついて店員さんに「立場をもって礼を強要」したことはありませんか?

誰であっても、「暴君」に成り得るのです。

だからこそ、「己という領土を治める唯一無二の君主」には、自分自身をコントロールすること、つまり自分を律することを求められているものです。

「私は、慶の民の誰にも王になってもらいたい。他者を虐げない心、災厄をふりまかない心、不正をせず、ケダモノにならず。私は慶の民に、そんな不屈の王になってほしい。己という領土を治める唯一無二の君主に!」

これが、慶王陽子の本当のメッセージではないかと思っています。

Life Craft Worksのテーマ「人生を謳え…自分に恥じない人生を創造しろ。」は、慶王陽子の台詞への共感を礎に「人生を謳歌する」ことを加えています。

雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。それが自由というものだ。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

「人生を謳歌する」とは、ゲーテの言う雨の中で踊る「自由」、つまり「自分の意志で自分の人生を自由に選択する」状態であると思います。
一時的な「楽しい」や「嬉しい」といった感情ではなく、「自分の心と体と人生を自分で制御する」ことにより「個として確かに世界に存在する」実感こそが根源的な「楽しさ」や「嬉しさ」「優しさ」「自信」に繋がると考えています。

この時の状態を専門的な用語を広義の意味で引用するとアサーティブ、他人に迷惑をかけても無理やり踊る「暴君」の状態をアグレッシブ、周りの目が気になって踊れず自分の人生の選択を「周りの誰か」に渡している状態を「ノンアサーティブ」な状態といえるでしょう。

日常生活を送っていると、誰しも嬉しいことも悲しいこともあります。そしてそれはあなたが接している相手も同じです。
自分がアサーティブな状態であっても、アグレッシブ(ノンアサーティブ)な状態の相手と接していてアサーティブであり続けるのは困難であることは容易に想像付くでしょう。

つまり「自己理解」においてアサーティブな状態を維持することはできても、「人間関係」においてアサーティブな状態を維持するためには、相手もアサーティブな状態であるか、何故相手がアグレッシブ(ノンアサーティブ)な状態であるかを理解する必要があるのです。

その理解を深めるために、心理学や組織論をベースに「自分を律し、コミュニティを包括的に考えたうえで、相手に自分をどのように魅せるか」を中心としたワークショップなどを実施し、キャリアを「就労」や「職場」をいう断面だけに留めず、人生そのものを構築する、人生(キャリア)をデザインし一人でも多くの人が「生きやすく」なることがLife Craft Worksの目標です。

2021.4.5 Life Craft Works.
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