してもらって当たり前の仕事などない
時々「接客員は給料を貰っているのだから、お客が「ありがとう」と言うのはおかしい」と恥ずかしげもなく言う人がいます。従業員がサービスを提供することと、自分が感謝を伝えることができる品性を有しているかどうかは全く別物です。
日常の挨拶でも品性が伺える
話は少し変わりますが、職場でも出社、退社の挨拶ができない残念な人がいます。これは、挨拶をしないのは相手の品性や受けてきた教育の問題です。
これに対し、「相手が挨拶をしないから自分も挨拶をしない」では、あなたの品性もたかが知れています。
相手の挨拶の有無に関係なく、挨拶はする。
小学校…幼稚園(保育園かな?)で、先生はなんと言いましたか?あたなと親はなんと育てましたか?
「挨拶してくる相手だけに挨拶をしましょう」「挨拶を返さない人には挨拶発しなくていい」とでも教わりましたか?
初等教育(幼児教育)で教わるようなことが、「自分に都合に良い理屈を並べて」できない事実が恥ずかしいことだと理解できていないところが、頭と品性の残念さを醸し出しています。
(こう書くと、自分は「理解していてしていないんだ」と顔を真っ赤にしてさらに残念な反論する人もいます)
無形商材への敬意
さて、本筋に戻ります。我々就労支援者(おそらく士業の方々も)が多く体験していることですが、気軽に我々の知識を盗もうとしている知識泥棒に遭遇します。
特に最近相談者とLINEなどで距離が短くなりました。
そうすると、いきなり求人票を送ってきたり、業務とは関係のない相談をしたり、非常識な時間に連絡したり、パートナーの職場の悩みを書いてきたり…
我々はその分野の専門家として、多くの時間とお金を掛けてその「知識」を得て、それを「商材」として取り扱っています。
知識泥棒の皆様にお伺いしたいのですが、あなたはパティシエに知り合いがいて、「ちょっとお腹がすいたからケーキ食べさせて」と言うのでしょうか?
知識泥棒の皆様にお伺いしたいのですが、何故、知識や情報(目に見えないもの)に関しては「ちょっと教えて」と厚顔無恥なことが平気で言えるのでしょうか?
知識泥棒の皆様にお伺いしたいのですが、何故、断ると「ケチ」「ちょっとぐらいいいじゃない」と言えるのでしょうか?対価を払おうとしないあなたこそ「ケチ」だと気づけないのでしょうか?
相手への敬意
相手の仕事に敬意とは「相手への敬意」に他なりません。相手への敬意を忘れない人は、「教えて貰うのは当然ではない」「相手の知識や経験を享受しようとしている」「相手の時間を使っている」ということを理解しています。
自分が困っているから助けて欲しい。
心情的には理解できますが、自分の都合だけでしか動けない人は人として信頼を失うだけだと私は思います。
「親しき仲にも礼儀あり」と言いますが、「親しき仲に【こそ】礼儀を意識する」必要があるのではないでしょうか。