キャリアカウンセラー(キャリアコンサルタント)の在り方

Story.22

誰のための資格なのか

あなたは、本当にクライアントに向き合っていますか?

今回は特に、私の強い信念に基づいて発信しますので、場合によっては、あなたの信頼している支援者(コーチ、キャリアコンサルタント、キャリアカウンセラー、公認心理士など)が含まれるかもしれません。
また、特定の支援者に対して明確に批判と否定をしていますので、読み進める方はご注意ください。

そして、可能であれば、これから支援者を目指す方にはしっかり目を通して欲しいと思っています。

「自分が苦しかったから同じ思いをする人を助け合い」
「困っている人を助けたい」

支援者を目指す動機として、これほど素晴らしい気持ちはありません。

公共職業安定所に勤めているから仕方なく、民間の紹介会社に勤めていて、資格が無いと昇進できないからと、「志」が無い一部の資格ホルダーとは比べるまでもなく立派です。

しかし、試験が目の前になると、世の中に溢れるのは「合格するテクニックを教えて欲しい」という「志」の低い投稿と、それに応える「合格するための小手先のテクニックを教える」キャリコンの投稿ばかりです。

私は、自らのタイトルに誇りを持っています。
ですから、今まで一度も「キャリコン」と蔑称で呼んではいませんでしたが、彼ら彼女らは「支援者」ではなく「キャリコンの資格を有しているだけの存在」だと私は思っています。

支援というのは資格で行うものではありません。
もちろんスキルや経験は必要ですが、何時しか当初の「志」を忘れ「試験合格のためのテクニック」に拘るのは、最早「自分のために資格が取りたい」という自分のための行為に成り下がっているとしか言いようがありません。

本来支援に必要な能力と知識を有していれば試験は合格できるにも関わらず、「試験合格のためのテクニック」を教わらなければ合格できない…それはその受験者が「クライアントの人生に携わる能力か知識も足りない」ことを意味しているのではないでしょうか。

資格を取ったばかりの資格保有者(個人)が、受験者に対して「こうすれば合格できます」とテクニックを意気揚々と教えていますが、誰かに教えることができるほど知識、経験がある人なのでしょうか?
※今回は、資格ビジネスや協会ビジネスをしている団体をどうこう言うつもりはありません。

「どうしたら試験に合格できますか?」

この質問に回答する必要があるのでしょうか?

テクニックを教える人は何も思わないのでしょうか?
何か思っても言わないのでしょうか?
「優しさ」という誤魔化しで指摘しないのでしょうか?
それでも「答え」を聞きたがる相手に「テクニック」を伝えるのでしょうか?

本当は気づいているのではないですか?
そうして、小手先のテクニックだけしか有しない資格保有者を量産し、そんなことを繰り返した結果、一気に「国家資格の中でも食べれない」「取得しても意味がない」と呼び声も高い資格となったことを…
当然です…ろくに支援できない人物を自分たちで大量に生産しているのですから。

自分のために資格を取りたいというのは、悪いことではありません。

しかし、自ずからの儲けや欲求のためにクライアントを利用するのは、倫理観が欠如しているとしか言いようがありません。
そしてそれは、テクニックしか教えることのできない(教えてこなかった)キャリコンも同罪です。

今回、こういったキャリコンがどういった支援を展開しているか表面的にわかり易い部分で列挙します。
ここで列挙するのは、意識が低い、若しくは意識が欠如している信頼するに値しないと私が考える支援者(キャリコン以外にも同様な有資格者が存在します)です。

エアプ実際に採用現場を経験していないキャリコン

SNSの投稿を見ると明らかに採用側の視点が欠如していることを書いているキャリコンが多いです。

先日の記事「面接で「経営計画」を聞く就活生はお祈り候補生」にも書きましたが、逆質問に困ったら「経営理念」を聞けだの、「面接担当者の入社した動機」を聞けだの、どこかのまとめサイトでも引用してきたのか、コピーしたような内容が、あたかも「現場を知っています」的なことを投稿しています。
面接で「経営計画」を聞く就活生はお祈り候補生


採用未経験のキャリコンの支援は机上の空論(若しくは自分の経験)が中心です。
自らペルソナ設定をしたわけでもなく、ただ人事で採用していて「面接」だけ経験しているキャリコンの支援は表面的なことしか伝えられません。
代表や取締役を経験したことが無いキャリコンの代表面談の話など想像でしかありません。

私の知り合いにも意識が高く、人事経験は無くても頭を下げてヒアリングして情報を自分のものにしている支援者さんもいますが、実体を伴わないコピペ記事が蔓延していて、そういった支援者さんを探すのは「砂漠の中で一本の針を探すようなもの」となっています。

支援者の倫理として「インフォームドコンセント」を行い、自分が対応可能な範囲をクライアントに伝える必要があります。
倫理と書いてありますが、私は「義務」だと思っています。

そして、「経験が無いこと」や「できないこと」は、クライアントの人生のことを真剣に考えられるのであれば正直に伝えるべきですし、知ったかぶりして発信するべきではありません。

相談を依頼する方は、必ず、得意領域、経験や実績を確認しましょう。

また、最近ホームページは簡単に作れますので、資格を取った途端、あたかも経験があるように記載する方がいます。

このパターンで多いのがキャリアコンサルタントと公認心理士です。
例えば、今まで「講師的な仕事」をしていた人が、資格を取得した途端「実績多数のキャリアコンサルタント(公認心理士)が相談に乗ります」的な文言を乗せている場合は危険です。

ホームページを見ると「○○大学で講演」とか「○○テレビに出演」とか「権威付け」の情報が多数載っているので一瞬凄そうに見えますが、確認するのは「相談件数」と「相談実績」です。
「資格いつ取ったんですか」と聞くと、酷い時は先月取得したばかりの人も居ます。

「実績多数のキャリアコンサルタント(公認心理士)が相談に乗ります」

実績は相談業務のことを指していないだけで嘘はついていませんし、間違いではないですが、「騙してやろう」とは言わないものの「あえて正直に書かない」記載には悪意しか感じないのは私だけでしょうか。

顔出しをしていない、本名ではない支援者

SNS上で顔出しをしておらず、又は本名を名乗っていない、若しくはその両方の人物がキャリコンを名乗っています。
確かに資格は持っているのでしょう。

副業が禁止されているから
会社にばれたくないから

多くの資格を持っているだけで「キャリコンを名乗る人物」の言い訳はこんな感じです。

(そもそも副業禁止なのに資格を利用して儲けようとしているのは、支援者の倫理観どころか社会通念上において、「ルールを破ってます」と明言できる人間が信用できるはずもないのですが)「副業禁止」とか「会社にばれたら」とか、そんな自分の都合をクライアントに押し付けて、それは誰のために支援しているのでしょうか?

支援者が「支援したいという欲求」若しくは「支援でお金を稼ぎたいという願望」に、クライアントを巻き込んで、一体誰のための支援なでしょうか。

なかには「もう少ししたら会社を辞めるからそれまでは顔出しNGで」などと自己都合全開で弁解から入る資格保有者もいます。

「もう少ししたら奥さんと別れるから付き合ってくれ」と言っているのと何が違うのでしょうか?

本当に相手を愛しているのであれば、離婚してから付き合えばいいのです。
こんなのは「愛」ではなく「エゴ」であり、会社を辞めるまでクライアントに顔出ししないのも同様です。

自分の「エゴ」を成就するためにクライアントを利用するような人間は支援者を名乗るべきではない。
ましてや、クライアントはその相談で人生が変わるかもしれないにも関わらず、自分の都合にクライアントを巻き込むなどと、「クライアントの大事な人生の岐路に関わっている」という意識が持てていない証拠です。

「私は顔出ししないし、本名も書いてないけど、信頼してあなたの悩みを打ち明けてね」などという支援者は「ラポールの形成」を知った風に言う前に、まず人としての信頼関係の構築の仕方を勉強することから始めた方がいいです。

資格を取ったばかりだから、一年間は無料で相談を受けます

合格発表の時期になると「資格を取ったばかりだから、一年間は無料で相談を受けます」などの文言がSNS上に飛び交います。

正直書きますが、不愉快です。資格返上してください。

何度も書いていますが、誰のための支援でしょうか?

スキル不足を補うためにクライアントに「モルモットになってください」とよく平気で書けるものだと思います。

相手の人生や問題に寄り添うはずのキャリコンが、誰よりも相手の人生を軽んじているのには不愉快を通り越して怒りすら感じます。

何処の世の中に「医師免許取得したので一年間は無料で外科手術します」などと言う医者がいるのか、そんな医者に命を預けるクライアントがいるのか。

医療分野で言えば、治験を受けた場合は報酬が出ます。

それと同様に、自分が経験したい、スキルを伸ばしたい、【自分のために支援する】のであれば「一万円報酬出すので、資格を取ったばかりのど素人にあなたのお悩みを聞かせてください」と頭を下げてお願いすべきです。

こう書くと「だって、経験する場所が無いから」と資格を保有した人はいいますが、だからなんでしょうか?
それはあなたの都合ですよ。自分自身で経験が無いと自覚しているのも関わらず、クライアントではなく自己の都合を優先する、誰よりも「自分の欲求を満たすための行為」にしか他なりません。

カウンセラーは「白いキャンパス」で、絵を描くのはクライアントと教わりませんでしたか?
今のあなたのキャンバスは「自分が支援したい」という絵の具が最初から塗られていませんか?

「自分が苦しかったから同じ想いをする人を助け合い」
「困っている人を助けたい」

支援者を目指す動機として、これほど素晴らしい気持ちはありません。

こう書きました。

【動機】としては素晴らしいのです。

しかし、支援は「~たい」という支援者の想いや欲求を叶えるために行うものではありません。

矛盾の先に

クライアントと向き合うとは、とても奥が深く、そして矛盾しています。
支援したいという「動機」や「欲求」が無ければ支援者の道を選ばないし、スキルを高めようとも思いません。
しかし、クライアントと向き合う時には「我欲」を出してはならない。

上手く言葉に出来ないのですが、INPUT時点では誰よりも欲深く吸収し、OUTPUTする瞬間からその一切をまるで捨て去ったかのように自分自身が無にならなければならない。

カウンセラーはキャンバス
クライアントセンタードアプローチ
受容

我々は数々の「単語」を知っていますが、いったいどれほどの人がこの単語の重みを感じているのでしょうか。

受容、共感、一致はカウンセラーにとって基本であり、最大の目標です。

これは、カウンセリングに入った時に求められる姿勢ではありません。
クライアントに意識を向けた瞬間から、自分の言動はすべてクライアントが中心でなければならないのです。

欲求や願望で学び身につけた「知識」や「経験」を、その一切を自らの欲求や願望のために使ってはならないという「大いなる矛盾」をはらんでいるのが支援者だと私は考えています。

文頭に書きましたが、この記事が私の支援者(キャリアコンサルタント)としての信念です。
今、この記事を以て「所信表明」とします。

Life Craft Works. 佐藤 涼祐

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